玉ねぎを切り終えたとき、厚みがばらばらになっている。火を通すと、透き通ったものと生っぽいものが混ざる。切るのが遅くて、下ごしらえだけで疲れてしまう。
こうした悩みを、自分のセンスや器用さのせいだと考えている方は少なくありません。けれど私は、料理教室でお客様の手元を見ていて、そう感じたことがほとんどありません。
包丁がうまく使えない理由は、たいてい手の外側にあります。力の向き、道具の状態、そして触れてきた回数。この三つです。どれも、生まれ持った器用さとは関係がありません。だからこそ、あとからいくらでも変えられます。
この記事では、包丁の使い方を、持ち方・構え・刃の動かし方の順に整理します。そのうえで、家庭でいちばん多い「いつまでも上達しない」という感覚に、私なりの答えをお伝えします。
結論:包丁の使い方の基本は、力で押さえつけず、刃を手前に「引く」か、前に「押し出す」ことです。 左手は指を丸めた「猫の手」で食材を押さえ、刃の側面を指の第一関節に当てて進めると、厚みが揃い、指も守られます。 持ち方は「柄を握る」「人差し指を添える」「刃先のほうを持つ」の使い分けで、正解がひとつあるわけではありません。 そして上達しない最大の理由は、フォームではなく、切った数が足りていないことです。
関連する料理の考え方は、時間ではなく中心温度で考える火入れと塩と旨味で素材の輪郭を立てる方法でも紹介しています。
結論|包丁は「押す」のではなく「引く」か「押し出す」
包丁の使い方の基本は、一文で言い切れます。力で押さえつけるのではなく、刃を手前に引くか、前に押し出すこと。これだけです。
上から体重をかける動きは、繊維を断っているのではなく、潰しています。トマトの皮の上で刃が滑るのも、玉ねぎの断面が水っぽくなるのも、力の向きが下を向いているからです。
押さえつけるほど、刃は断つのではなく、押しつぶす方向に働きます。断面がつぶれれば、そこから水分が逃げていきます。切り方の違いが、見た目だけでなく仕上がりの味にまで届いてしまうのは、そのためです。
刃には長さがあります。その長さを使い切るように、前後へ滑らせる。すると、同じ力のままでも、刃は食材の中を進んでいきます。
力を抜いたほうがよく切れる。これは感覚的な言い回しではなく、刃という道具の構造からくる話です。まずはこの一点だけを持ち帰ってください。以降の章は、この動きをどう安定させるかの話になります。
持ち方に、正解はない。使い分けがある

包丁の持ち方を調べると、たいてい「正しい持ち方」が一種類だけ紹介されています。けれど私は、作業によって持ち方を変えています。
持ち方/向く作業
柄をしっかり握る/力を入れたい作業
人差し指を峰に添える/繊細に動かしたい作業
刃先のほうを持つ/いちばん細かい作業
柄を握り込むのは、力を伝えたいときです。かたい根菜を割る、大きな塊を分ける。手のひら全体で包丁と一体になる持ち方だと考えてください。
人差し指を刃の背に添えると、刃先の向きが指先で分かるようになります。薄く削ぐ、皮の際を狙う。こうした繊細な動きは、握り込んだままでは狙いが定まりません。
さらに細かい作業では、柄ではなく刃先のほうを持ちます。指と刃の距離が縮まるほど、動かせる精度は上がります。
大切なのは、どれが正解かではありません。いま自分が、なぜその持ち方をしているのかを意識することです。力がほしいのか、精度がほしいのか。それが分かっていれば、手は自然に持ち替えるようになります。
私自身、一皿を仕上げるまでに何度も持ち替えています。無意識にやっているように見えて、そこには理由があります。持ち方には、それぞれ意味があるのです。
料理教室でも、この持ち替えは意識して見ていただくようにしています。手元だけを真似しても、なぜそう持っているのかが分からなければ、次の食材で応用が利きません。逆に理由さえ分かっていれば、教わっていない作業に出会っても、自分で持ち方を選べるようになります。
構えは、力まないことのほうが大事
構えについて聞かれることも多いのですが、ここは厳密なフォームを課す場所ではないと考えています。
体の向きは、まな板に対して少し開いているくらいが動きやすいはずです。真正面に固まって向き合うと、腕の可動域が狭くなり、刃を前後に滑らせにくくなります。
とはいえ、そこまで神経質になる必要はありません。リラックスした状態で作業できていれば、それでいいというのが私の考えです。角度を守ることに気を取られて肩に力が入るなら、本末転倒になります。
もうひとつ、左手の使い方だけは意識してください。指を丸めた「猫の手」で食材を押さえ、刃の側面を指の第一関節に当てたまま進めます。
こうすると、関節が刃のガイドになります。厚みが揃うのはそのためです。同時に、指先が刃より前に出ないので、切ってしまう危険も減ります。安全と精度が、ひとつの形で同時に手に入ります。
刃の動かし方は、4つしかない
刃の動かし方は、細かく分ければきりがありません。ただ、家庭で使うものに絞れば、次の4つで足ります。
動かし方/刃の軌道/向く食材
押し切り/前へ押し出す/やわらかいもの、薄いもの
引き切り/手前へ引く/繊維のあるもの、断面を残したいもの
叩き切り/上から落とす/かたいもの、勢いが必要なもの
削ぎ切り/寝かせて滑らせる/面を広く取りたいもの
押し切りと引き切りが基本の2つで、実際の作業のほとんどはこの2つで進みます。叩き切りは、かたいものに刃を通すための例外です。削ぎ切りは、刃を寝かせて断面を広く取りたいときに使います。
ここを覚え込む必要はありません。押すか、引くか。刃を立てるか、寝かせるか。この二つの軸の組み合わせだと理解しておけば十分です。
上達しない理由は、ひとつしかない
ここからが、この記事でいちばんお伝えしたいところです。
持ち方も構えも動かし方も整理しました。それでも、多くの方が「上達しない」と感じ続けます。その理由を、私はひとつだと考えています。
包丁で切っている数が、単純に足りていないのです。
フォームが間違っているから上達しない、という話ではありません。たくさん包丁に触れて、たくさん食材を切っていれば、自己流のままでもスピードと正確さは上がっていきます。手が動きを覚えていくからです。
私自身がそうでした。アルバイトをしていたころ、ねぎを一日に何箱も白髪ねぎにしていた時期があります。誰かに教わった正しいフォームがあったわけではありません。ただ、朝から晩まで包丁と向き合っていました。
気づいたときには、手が勝手に動くようになっていました。速さも、太さの揃い方も、意識せずに一定になっていた。あのとき身についたものは、本を読んで得たものではありません。
ですから、いま切るのが遅いと感じている方に私がお伝えするのは、フォームの修正ではありません。まず、包丁に触れる回数を増やしてください。
キャベツを一玉、いつもより細く刻んでみる。玉ねぎを一つ多く使う献立にしてみる。回数が増えれば、手はひとりでに動きを覚えていきます。その土台の上で、はじめて持ち方や刃の角度の話が効いてきます。
一日に何十本も切る必要はありません。ただ、週に一度しか包丁を握らない状態では、手が動きを覚える前に忘れてしまいます。回数というのは、才能とは関係なく積み上がっていくものです。そして積み上がった分だけ、確かに手に残ります。
家庭でいちばんの壁は、切れ味が戻せないこと
回数を増やしていくと、次にぶつかる壁があります。これが、家庭でいちばん厄介な問題です。
包丁の切れ味は、使っていれば落ちていきます。そして家庭では、それを戻すのが難しい。
切れない包丁は、力を入れないと進みません。力を入れると、押さえつける動きに戻ってしまいます。前の章までに整理したことが、道具のせいで台無しになるわけです。上達しないと感じる原因が、腕ではなく刃にあることは珍しくありません。
研ぐ技術は、上級者のものではありません
家庭で本格的に料理をしたいと考えているなら、包丁を研ぐスキルを身につけることをおすすめします。これは料理人だけのものではありません。
最初はうまくいかないはずです。刃がボロボロになってしまうかもしれません。それでも構わないと私は思っています。何度もやっているうちに、うまく研げるようになるからです。
私も同じでした。研ぎ方を誰かに手ほどきしてもらったわけではなく、動画共有サイトに上がっている研ぎ方を見て、真似することから始めました。それが最初のきっかけです。いまは無料で見られる手本がいくらでもありますから、環境としては当時よりずっと恵まれています。
シャープナーという選択肢もあります
砥石でなければいけない、ということもありません。手軽に切れ味を戻したいなら、シャープナーも良い選択肢だと考えています。
大切なのは、道具を切れる状態に保つ習慣を持つことです。方法は、続けられるものを選んでください。切れる包丁で切ると、力を入れる必要がなくなります。すると、この記事の最初にお伝えした、引くか押し出すかという動きが、自然に戻ってきます。
そもそも、切れ味が落ちていることに気づかないまま使い続けている方は、少なくないと感じています。トマトの皮に刃が入らない。鶏肉の皮が引きちぎれる。そういう瞬間があったら、腕を疑う前に、まず刃のほうを疑ってみてください。
見て、隣で直してもらうと、遠回りが減る
Na Team Lab では、恵比寿の八席のレストランを、そのまま料理教室として使っています。8名限定の2時間、私が実演しながら進めるデモンストレーション型です。火器は家庭と同じIHで、食材も近所のスーパーで揃うものだけを使っています。店でしかできないことを見せる場ではなく、家で再現していただくための場だからです。教えているのが今週も店に立っている料理人である理由についても、別の記事に書きました。
料金は1回6,000円。材料費とワイン代を含み、入会金も回数の縛りもありません。手元を一度見てもらうだけでも、遠回りは減るはずです。
開催日程とお申し込みは料理教室のページにまとめています。Na Team Lab の世界観や日程のご質問は、公式LINEにてご案内しています。
まとめ
- 包丁の使い方の基本は、力で押さず、刃を引くか押し出すこと
- 持ち方に正解はなく、力がほしいのか精度がほしいのかで持ち替える
- 構えは、角度よりも力まないことのほうが大事
- 刃の動かし方は、押すか引くか、立てるか寝かせるかの組み合わせで足りる
- 上達しない最大の理由は、切った数が足りていないこと
- 切れ味を戻せる状態を保つと、正しい動きが自然に戻ってくる
よくある質問
包丁の持ち方は、ひとつに決めたほうがよいですか?
決めなくて構いません。力を入れたい作業では柄をしっかり握り、繊細に動かしたいときは人差し指を添え、いちばん細かい作業では刃先のほうを持ちます。大切なのは、なぜいまその持ち方をしているのかを意識することです。
自己流のままでも、包丁は上達しますか?
上達します。たくさん包丁に触れて、たくさん食材を切っていれば、自己流でもスピードと正確さは上がっていきます。まずはフォームを直すより、包丁に触れる回数を増やすところから始めてみてください。
包丁は自分で研げるようになったほうがよいですか?
家庭で本格的にやりたい方にはおすすめします。最初は刃がボロボロになるかもしれませんが、繰り返すうちにうまく研げるようになります。手軽に切れ味を戻したい場合は、シャープナーという選択肢もあります。
味が変わる瞬間を、恵比寿の八席で。
現役シェフの実演を見て、完成した料理を味わい、判断の理由まで質問できる少人数の料理教室です。
